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2026/08/18

タツキの物語(俊の記憶) 第8回

8章 俊の回想(18歳)

これがタツキの物語。

障害があってもなくても、タツキはただ“タツキ”として世界を動かした。

あいつほど人を笑わせて、泣かせて、走らせた子を僕は知らない。

あいつがいた時間は、本物だった。

タツキはいなくなったけど、僕たちの心の中にずっと生き続ける。

どんな人も代わりになれる人なんていない。

一人ずつ別の人格をもっていて、そしてその人格で周囲に影響を及ぼす。

それが僕が18歳で知った大きな学びだった。

だから僕は、これからもタツキのことを胸に抱いて生きていく。

 

そして僕は今でも、ときどき思う。

あの日のタツキの笑い声は、きっと世界でいちばん強かったと。

今でも耳の奥で聞こえる。

「しゅんーーー!!」

今でもあれが、僕の世界のいちばん大事な音だ。

 

でも、タツキがいなくなってから、僕はひとつだけ強く思うようになった。

人は、能力や年齢や「できる・できない」で価値が決まるんじゃない。

その人がそこにいることで、場の空気が変わる—— それだけで、世界を動かすことができる。

タツキは、何か特別なことができたわけではないし、むしろできないことが多くて、みんなの手を煩わせたと思う。

でも、あいつが笑えばみんなが笑った。

あいつが泣けばみんなが駆け寄った。

あいつが富士山を作れば、食堂が祭りになった。

社会は、本当はこういう「人格の力」をもっと大事にできるはずだ。

障害があるとか、発達が遅れているとか、そういう言葉で人を分類するんじゃなくて、

その人が持っている「場を変える力を見られる社会であってほしい。

僕たちが過ごしたこの施設は、その小さなモデルだった。

誰かの「できない」を補い合って、誰かの「好き」を中心に生活が回って、

誰かの「笑い声」が共同体の空気を作る。

タツキは、その中心だった。

だから僕は、これからの社会が、あいつみたいな子を「保護する」だけじゃなくて、

一人の人間」としての良さを見られるようになってほしい。

あいつが教えてくれたのは、「人は役割で生きるんじゃなくて、関係で生きる」ということだ。

僕はそのことを忘れずに生きていく。 タツキの笑い声と一緒に。