タツキの物語(俊の記憶) 第8回
8章 俊の回想(18歳)
これがタツキの物語。
障害があってもなくても、タツキはただ“タツキ”として世界を動かした。
あいつほど人を笑わせて、泣かせて、走らせた子を僕は知らない。
あいつがいた時間は、本物だった。
タツキはいなくなったけど、僕たちの心の中にずっと生き続ける。
どんな人も代わりになれる人なんていない。
一人ずつ別の人格をもっていて、そしてその人格で周囲に影響を及ぼす。
それが僕が18歳で知った大きな学びだった。
だから僕は、これからもタツキのことを胸に抱いて生きていく。
そして僕は今でも、ときどき思う。
あの日のタツキの笑い声は、きっと世界でいちばん強かったと。
今でも耳の奥で聞こえる。
「しゅんーーー!!」
今でもあれが、僕の世界のいちばん大事な音だ。
でも、タツキがいなくなってから、僕はひとつだけ強く思うようになった。
人は、能力や年齢や「できる・できない」で価値が決まるんじゃない。
その人がそこにいることで、場の空気が変わる—— それだけで、世界を動かすことができる。
タツキは、何か特別なことができたわけではないし、むしろできないことが多くて、みんなの手を煩わせたと思う。
でも、あいつが笑えばみんなが笑った。
あいつが泣けばみんなが駆け寄った。
あいつが富士山を作れば、食堂が祭りになった。
社会は、本当はこういう「人格の力」をもっと大事にできるはずだ。
障害があるとか、発達が遅れているとか、そういう言葉で人を分類するんじゃなくて、
その人が持っている「場を変える力を見られる社会であってほしい。
僕たちが過ごしたこの施設は、その小さなモデルだった。
誰かの「できない」を補い合って、誰かの「好き」を中心に生活が回って、
誰かの「笑い声」が共同体の空気を作る。
タツキは、その中心だった。
だから僕は、これからの社会が、あいつみたいな子を「保護する」だけじゃなくて、
「一人の人間」としての良さを見られるようになってほしい。
あいつが教えてくれたのは、「人は役割で生きるんじゃなくて、関係で生きる」ということだ。
僕はそのことを忘れずに生きていく。 タツキの笑い声と一緒に。

