タツキの物語(俊の記憶)第1回
第1章 施設に来た頃(12歳の俊)
僕が“Let it go”という施設に来たのは12歳の時だった。
名前の意味は「ありのままに」だそうだ。
社会で受け入れられない子どもたちが「そのままの姿で生きられるように」、
そんな願いを込めてつけられた名前だと後で知った。
空気を読んで自分を殺して生きるしかなかった僕にとって、
その言葉はまるで別の世界への入口みたいに聞こえた。
ディスレクシアの僕は学校では文字が読めないことで周囲からバカにされ、当時は不登校だった。
両親が知人から聞いて連れてきてくれたのが、この施設に入るきっかけだった。
一応ディスレクシアについて説明しておく。
普通の人には整然と並んでいる文字が、僕には踊っていたり重なって見えたりする。
脳の認知の問題らしい。
この施設では、寮費の代わりに朝の農作業をすることになっていた。
それから食事の時間は決まっていたけど、それ以外はどんな風に過ごしても良いことになっていた。
最初、僕は何をしてよいかわからなかったんだけど、そういう子たちのために、
施設の人が色々と興味の持てそうなことを紹介してくれる。
具体的に学びたいことがある子のために外部から講師を呼んでくれたりもする。
僕は、サキたちが船を作るというので仲間に入れてもらった。
それが僕のこの施設での最初の活動。
その後はドローン作りを通して、はんだ付けや電子機器、パソコンについて学んでいった。
その頃はまだ施設のみんながそれほど仲がよいわけでもなかった。
みんな好き勝手にやりたいことをやってる。
でも、後にこの施設で出会う一人の少年が、僕の世界を大きく変えることになるなんて、想像だにしていなかった。
ある日、ふと、読めないなら読み上げてくれるモジュールを作ろうと思った。
そしてプログラミングについて学んでいった。
プログラミングの講師を施設に紹介してもらったけど、先生は答えは教えてくれない。
答えにつながるヒントや調べ方を教えてくれるだけだ。
僕は思い通りにいかなくてやきもきした。
何度も失敗を繰り返して、投げ出そうと思ったことも何度もある。
でも、よくわからないけど、やめてはいけない気がして続けた。
そして、プログラミング自体はさほど高度なものではないなりに、
望む機能を実現するモジュールが完成した。
すごくうれしかった。みんながほめてくれた。
製品化しようということになって、系列のリブート・ハウスという施設出身のヤンチャ君という若い弁護士が、
企業との間に入ってくれたりして、特許の手続きをしてくれた。
ここで、リブート・ハウスとヤンチャ君について少し説明すると・・・
リブート・ハウスっていうのはいわゆる「不良少年」を更生させる施設みたいなところで、
ヤンチャ君はそこでも一番の悪だったらしい。
ところが、ひょんなことがきっかけで、ヤンチャ君は弁護士を目指すことになったらしく、
中学卒業後16歳で予備試験に合格、その翌年に司法試験にも合格して、その後司法修習に行き、
18歳で弁護士登録したらしい。
それだけでもスゴイみたいなんだけど、もっと驚くのは、
弁護士登録すると同時に結婚して、24歳で8児の父親なんだって。
そんなスゴイ人が僕たちの味方でいてくれるなんて、正直まだ信じられない。

